※この記事は、老子の“現実的平和主義” に想う (第1回)の続きです。
老子の“現実的平和主義” に想う (第2回)
──── 『老子』・「不争」/「兵は不祥の器」/「戦いに勝つも、喪礼を以て之に処り」
/永世中立国スイス/老子とシュヴァイツァー&トルストイ/安岡正篤・「シュヴァイ
ツァーと老子」/佐藤栄作&ケネディ大統領会談/儒学(孔子)の平和主義 ────
“アフリカの聖者“と呼ばれたアルバート・シュヴァイツァー (Albert Schweitzer,1875~1965)は、フランスの神学者・哲学者・医師・音楽家。
30歳の時、赤道アフリカ地方の黒人窮状を知り、
その医療奉仕に一生をささげようと志しました。
再び大学の学生となり医学を修め、
アフリカのコンゴのランバレネ(現ガボン共和国)に病院を建て、
90歳の生涯を閉じるまで黒人の医療救済とキリスト教伝道に生涯をささげました。
1952年・ノーベル平和賞を受賞、
1957年・原水爆実験禁止をアピールしました。
シュヴァイツァーの思想の根本理念が “生命への畏敬” です。
これこそが、文化を頽廃から救い、人類に理想を与える根本精神であると考えました。
「── (道徳の根本原理は) すなわち、生を維持し促進するのは善であり、
生を破壊し生を阻害するのは悪である。」(『文化と倫理』)
この偉大なる博愛主義者シュヴァイツァーの、
「老子」・戦争論(非戦・不戦)に関する興味深いエピソードがあります。
それは、ヨーロッパでの第2次世界大戦が終わった時、
ランバレネの病院にいたシュヴァイツァーは、
その日の夜、仏訳の 『老子』 をひも解いて、
静かにその 【第31章】 を頑味したといいます。
(山室三良・中国古典新書 『老子』)
安岡正篤氏が、このことについて「シュヴァイツァーと老子」の中で、述べられておられます。
また併せて、J.F.ケネディ大統領の本章に関する興味深いエピソードを述べられておられます。
( → 後述引用参照 )
次に、 『戦争と平和』 で知られる レフ・トルストイ (Lev Nikolaevich Tolstoi,1828~1910)と
老子の繋がりについて一言しておきましょう。
トルストイは、ロシアの世界的文豪であり思想家です。
“神の摂理”・“神の意思”にもとづいた理想主義的・人道主義的性格がその思想の特徴です。
老子の(やむを得ない時には武器を用いるという)反戦思想のデリケートな部分については、
これは老子本来の思想ではないと強く主張しています。
また、 『老子』に 「報怨以徳 (怨みに報ゆるに徳を以てす。)」【第63章】 とあります。
『論語』 には、 「以直報怨、以徳報徳 (直〔なお・ちょく〕きを以て怨みに報い、徳を以て徳に報ゆ。)」
(憲問第14-36) とあり、
孔子の現実味ある通用可能の立場を示しています。
現実的人間の“情”を重視する立場です。
この、老子の理想的立場は宗教において、
キリスト教(イエス)と仏教(仏陀/釈尊)は同じ立場です。
そして、トルストイも、
「悪に報いるに善をもってせよ、悪に反抗するな、そして総〔すべ〕てのものを許せ。」
と、言を同じくしているのです。
先述のように、偉大なる博愛主義者シュヴァイツァーの、
「老子」戦争論(非戦・不戦)に関する興味深いエピソード
── ヨーロッパでの第2次世界大戦が終わったその日の夜、
シュヴァイツァーが、仏訳の『老子』をひも解いて静かにその 【第31章】 を頑味したこと ──
について、安岡正篤氏が述べられておられます。
また、J.F.ケネディ大統領の興味深いエピソードを併せて述べられておられます。
引用させていただきご紹介いたします。
「 シュヴァイツァー と 老 子 」 安岡 正篤・(『知命と立命』より引用)
アルバート・シュヴァイツァー(1875 ~ 1965、フランスの医療伝道家・哲学者・神学者)は
元来ドイツの人である。
ドイツとフランスとの間、というよりは国境にあるシュトラスブール市の出身である。
このシュトラスブールはいかにもヨーロッパの町の歴史を物語る
特殊な経歴を持った都市である。
ある時はドイツ領になり、ある時はフランス領になる。
私がドイツからフランスへ自動車旅行をして、第一次大戦の古跡を回ったことがあるが、
その時にこのシュトラスブールに寄って歓待されたことがある。
その時にこのシュトラスブール市の歴史を研究している郷土史家が、
「わが町は国籍を変えること六十何回・・・」と言っていた。
それくらい争奪が激しかった所だ。
今は第一次大戦にドイツが負けたものだから、それ以来フランス領になっている。
そこでシュヴァイツァーもフランス人になっているけれども、人種はドイツ人である。
非常に偉い人で、今日アフリカのコンゴのランバレネ(現ガボン共和国)というところに病院を建てて、
原住民の診療に従事しながら、現代文明の批判とその救済とに心魂を傾けた著述をしている。
この人の逸話の中に、第二次世界大戦が終わって、ドイツが降伏し、
これによってヨーロッパの戦争が終わったという報道を聞いた時に
シュヴァイツァーは祈りを捧げている。
この祈りの言葉は聖書ではなく、東洋の『老子』の中の言葉を挙げて
祈ったということは有名な話になっております。
これは『老子』の中に
「戦い勝ちたる者は喪に服するの礼を以ってこれに処さねばならない 〈戦勝者則以喪礼処之〉 」
とある。
「戦に勝った者は死者に対する喪に服する気持ちで戦後の処理に臨まなければならない」
ということで、実にこれは偉大な思想である。
徹底した人道思想である。
よほどこの言葉にシュヴァイツァーは感動していたとみえて、
戦いが終わった、ドイツが降伏したという報道を聞くと、彼はこの言葉を挙げて祈っている。
佐藤(元)総理(佐藤栄作。明治34~昭和50)がまだ総理になる前、
アメリカに遊んでケネディ大統領に会われた時に、
その前に私が会っていろいろ話をしたことがある。
その時の雑談の中にケネディ大統領に会ったら、
今度の戦争についても、たとえ逆に日本が勝っていたとしても、
その場合、日本の少なくも天皇は敗戦国に対してこういう心持ちをもって対されたであろうと、
この老子の言葉を引用してケネディに聞かせるがよいと、私はその訳文まで知らせておいた。
ケネディ大統領は非常に忙しいので、
佐藤さんに二十分とか三十分とかいう約束をして会見をしたそうです。
談たまたま予定どおり終戦のことになって、
東洋にはこういう哲学があるといって、彼が老子のこの言葉を言ったら、
ケネディは急に態度を改めたそうです。
非常に敬虔〔けいけん〕な顔になって感動したらしい。
「そういうことがありますか」と言ってそれを繰り返し、
それから真剣に話を始めて、
約束の時間をはるかに過ぎて長時間語り合ったということを、
帰って来られるとすぐに私に報告があった。
政治家もこういう教養がなければならない。
やはり哲学というものが必要である。
安岡正篤先生は、『シュヴァイツァーと老子』の中で、
「政治家も こういう教養 がなければならない。やはり 哲学 というものが必要である。」
と結ばれています。
歴代総理の指南役であった碩学〔せきがく〕、安岡先生の慧眼〔けいがん〕・深意は当然として、
その安岡先生をブレーンとも師とも敬し・信頼して、
その言に従った佐藤(後)首相(後年ノーベル平和賞受賞)は立派であることを想います。
そして、若き人龍の如き大統領 J.F.ケネディ
(暗殺されて後は、アメリカの伝説的英雄となりました)が、
老子の言葉を聞いた時のエピソードは、
「流石〔さすが〕に ・・・ 」 と感じ入りました。 補注)
ところで、西洋文明の源、民主政治の源は、古代ギリシアです。
古代ギリシアの理想的指導者(為政者)像は、
(例えばプラトンによれば)当時の最高の学問=“哲学”を修めた人です。
“哲人”です。
更に“調和の美”を求めましたので、この哲人は同時に、肉体も鍛えられており(≒鉄人?)、
更に芸術にも造詣〔ぞうけい〕の深いことが求められました。
この結びの言葉のように、
確かに偉大な指導者・政治家は、偉大な思想家・哲学者であります。
私は、そういう思想哲学のある人が指導者・政治家にならなければなりませんし、
また民衆によって選ばれなければならないと、深く想います。
補注)
≪ キューバ危機 ≫
J.F.ケネディは、第二次世界大戦後、最も戦争(の危機)に直面した大統領です。
“キューバ危機”(1962.10.22: キューバ沖海上封鎖)で、米・ソが核戦争の瀬戸際に立ちました。
もし戦争となれば、犠牲者は米・ソ、欧州で 2億人を超える衆〔おお〕きになったとも言われています。
人口に膾炙〔かいしゃ〕しているケネディ大統領のことば、
── 「人類は戦争に終止符を打たねばならない。さもなければ、戦争が人類に終止符を打つ。」
は、このギリギリの実体験のもとづく重たいことばなのです。
《 (空想的)平和主義/反戦 》
わが国の“日本国憲法”において(3つの)柱として、
“永久平和主義(戦争放棄)” は唱えられています。
従って、言葉は誰しもが聞いているわけです。
※ この続きは、次の記事に掲載いたします。
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