儒灯

【温故知新】儒学の普及に力を注いでおります真儒協会 会長、高根秀人年の個人ブログです

水【坎】 に想う  (その12)

(こちらは、前のブログ記事の続きです。)

《 レオナルド・ダ・ビンチ と 「水」 》

古来、“天才”と称される偉人は少なくはありません。
が、“万能の天才”(ウオーモ ウニベルサーレ:普遍的人間)と冠される偉人は稀〔まれ〕です。

その“万能の天才”の名声を代表しているのが、
ルネサンスの巨人、レオナルド・ダ・ビンチ です。

賢人・聖人の至れるものが、象〔かた〕どられた“水”であることから
レオナルドにおいても“水”は強い執着と“楽〔らく〕”を与えているものです

ただ、一味、他の賢人たちと異なるのはその多才ぶりにあります。 

── レオナルドは、“水”(川)の流れを観て
人生・自然世界を瞑想〔めいそう〕し(【哲学者】)、
“水”という物質の形態を研究・深究し(【科学者】)、
“水”⇒ “波”をスケッチ・デッサンしていくうち、
いつしか“水”が永遠なる女性の髪の美(ウェイブ)と重なり融合して
“美”の世界に深く没頭してゆくのでした(【芸術家/画家】)。

レオナルドと“水”とのかかわりについては、
私たちは貴重な文献資料である「手記」によって垣間見ることができます。

以下、「手記」の中から“水”に関連するものをピックアップしてみましょう。


◎原典資料

・一人が他を追いかける。この絵によって生命と人間の状態が理解される。

・われわれは他人の死でわれわれの生命を養う。
 死せる物の中には生命が残っている。
 それがいきものの内臓に結びつくとふたたび感性的 知性的 生命を帯びるのである。

君が手にふるる水は過ぎし水の最期のものにして、来るべき水の最初のものである。
 現在という時もまたかくのごとし

(『レオナルド・ダ・ビンチの手記 ・上 』・杉浦明平訳・岩波文庫/〔人生論〕より)


・水の書の始まり ── 広くて深い形姿を有し、
 そこにあっては水がほとんど動かずにとどまっているものは海とよばれる。

☆水は自然の馭者〔ぎょしゃ〕である

・水とは何か ── 水は四原素のうち
 第ニの重さと第ニの流動性〔ヴォルビリタ〕をもつものである。
 これは海というじぶんの原素〔圏〕に帰りつくまでけっして静まることがない。
 海では、風に 患わされないかぎり、じっとして
 世界の中心から等距離なる水面を持して憩〔いこ〕うている。
 この〔水〕はありとあらゆる生ける物体の養分〔アウメント〕にして水分〔オモーレ〕である
 月の下なるいかなるものも水なしにはひとりで最初の形態を保持して行くわけに行かない。
 水はもろもろの物体を結合し、養い、それを成長させる。
 水より軽いものは暴力をもってするのでなければ水を貫くことができない。
 熱によって微細な水蒸気となり嬉々〔きき〕として空中に立ち昇る。
 寒さは水を凍結し、安定は水を腐敗さす
 あらゆる匂い、色および味を受入れるが、自分には何ひとつもたない

・そしてちょうど鏡がその前を通過する対象の色に自らを変えるように、
 何一つ自分自身では持たぬが、すべてを動かしもしくは捉〔とら〕える、
 そしてその通過する場所が千変万化すればそれだけ自分の性質をも千変万化させる。

・水は不断の運動によって海のどん底から山のてっぺんまでを循環し
 重さを有する物体の性質に従わない。
 この場合ちょうど動物の血のような働きをする

・川の水は海から来るのではなく雲から来るのだ。

・水の運動 ── 濁った水が、その流れに逆らうものにあたえる衝撃は
 清らかな水よりはるかに強い。

(『レオナルド・ダ・ビンチの手記 ・下 』・杉浦明平訳・岩波文庫/〔科学論〕より)


cf. 水=変化=循環     人間 ── 女性の髪の美/波(ウェイヴ:Wave)



( 以上 )



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