黄老の学 あらまし

中国の思想・文化の2大潮流 = 【儒学】 & 【黄老/老荘】(道教)
中国の思想・文化の3大潮流 = 【儒学】 & 【黄老/老荘】(道教) & 【仏教】
中国の思想・文化 = 【儒学】孔子・孟子・荀子 & 【黄老/老荘】 老子・荘子・列子
日本の精神・文化 = 古神道(惟神道〔かんながらのみち〕) & 3教【儒・道・仏】
§.Ⅰ 《 「老子」 紹介 》
儒学と老荘(黄老・道家)思想は、東洋思想の二大潮流であり、その二面性・二属性を形成するものです。
国家・社会のレベルでも、個人のレベルでも、儒学的人間像と老荘的人間像の2面性・2属性があります。
また、そうあらなければなりません。
東洋の学問を深めつきつめてゆきますと、行きつくところのものが、“易”と“老子”です。
―― ある種の憧憬〔あこがれ・しょうけい〕の学びの世界です。
東洋思想の泰斗・安岡正篤先生も、次のように表現されておられます。
「東洋の学問を学んでだんだん深くなって参りますと、どうしても易と老子を学びたくなる、と言うよりは学ばぬものがないと言うのが本当のようであります。
又そういう専門的な問題を別にしても、人生を自分から考えるようになった人々は、読めると読めないにかかわらず、易や老子に憧憬〔しょうけい〕を持つのであります。
大体易や老子というものは、若い人や初歩の人にはくいつき難いもので、どうしても世の中の苦労をなめて、世の中というものがそう簡単に割り切れるものではないということがしみじみと分かって、つまり首をひねって人生を考えるような年輩になって、はじめて学びたくなる。
又学んで言いしれぬ楽しみを発見するのであります。」
(*安岡正篤・『活学としての東洋思想』所収「老子と現代」 p.88引用 )
『論語』・『易経』とともに、『老子』の影響力も実に深く広いものがあります。
『老子』もまた、言霊の宝庫なのです。
我々が、日常、身近に親しく使っている格言・文言で『老子』に由来するものは、ずいぶんとたくさんあります。
例えば、次のように枚挙にいとまがありません。
- 大器晩成〔大器免成〕 (41章)
- 和光同塵〔わこうどうじん〕 (4章・56章)
- 無為自然 (7章)
- 道は常に無為にして、而も為さざる無し (37章)
- 柔弱謙下〔じゅうじゃく/にゅうじゃく けんか〕の徳 (76章)
- 柔よく剛を制す (36章)
- 三宝 (67章)
- 恍惚〔こうこつ〕 (21章)
- 天網恢恢〔てんもうかいかい〕、疏〔そ〕にして失わず〔漏らさず〕 (73章)
- 千里の行〔こう/たび〕も、足下より始まる (64章)
- 知足(たるをしる) / 知止(とどまるをしる) (33章・44章・46章)
- 上善若水〔じょうぜんじゃくすい:上善は水のごとし〕 (8章)
- 天は長く地は久し (7章) cf.“天長節”・“地久節”の出典
- 知る者は言わず、言う者は知らず (56章)
- 大道廃〔すた〕れて、仁義あり / 国家昏(混)乱して忠臣有り (18章)
- 禍〔わざわい〕は福の倚〔よ〕る所、福は禍の伏す所 (58章) cf.“塞翁馬”
- 功成り名遂げて身退くは、天の道なり (9章)
- 絶学無憂〔ぜつがくむゆう〕 (20章)
- 小国寡民 (80章)
- 信言は美ならず、美言は信ならず (81章)
- 怨みに報いるに徳を以てす (63章)
cf.「直を以て怨みに報い、徳を以て徳に報ゆ」(『論語』)
・・・ etc.
さて、(孔子とは対照的に)老子という人物は、実は、いたかどうかもはっきりしないのです。
が、少なくとも 『老子』(『老子道徳経』) と呼ばれている本を書いた人(人々?)は、いたわけです。
時代的には、儒家が活躍したのと(諸子百家の時代、春秋時代〔BC.770~BC.403〕の末頃から)、同時代か少し後の時代と考えられます。
そして、近年この『老子』に、歴史的な新発見(サプライズ)があったのです!
『老子』の現存する最古のテキスト=今本〔きんぽん〕『老子』というものは、8世紀初頭の石刻でした。
ところが、1973年冬、湖南省長沙市馬王堆〔ばおうたい〕の漢墓で、帛〔はく:絹の布〕に書かれた 2種の『老子』が発見されました。
“帛書老子”甲本(前漢BC.206年以前のもの)と乙本(BC.180年頃までに書写されたもの)です。
さらに驚くことに、1993年冬、湖北省荊門市郭店の楚墓から、『老子』の竹簡〔ちくかん〕が出土しました。
この“楚簡(竹簡)老子”は、“帛書老子”よりさらに 1世紀ほど遡るBC.300年頃のものです。
こうして、『老子』のテキストは、一気に1000年以上も前にまで遡って、我々の目にするところとなりました。
これ等の研究により、老子研究の世界も、歴史学や訓詁〔くんこ〕学のそれのように、塗り替えられ新たになろうとしています。
新発見の具体的一例をあげれば、「大器(ハ) 晩成(ス)」があげられます。
国語(現代文、古典ともに)で、しばしば登場する文言です。
四字熟語としても、小学生・中学生のころからお馴染みのものですね。
“大きな器〔うつわ〕は夜できる”という珍訳が有名ですが、大きな器を作るのには時間がかかるという(それだけの)意です。
そこから敷衍〔ふえん〕して、立派な人物は速成では出来上がらず、晩年に大成するという意味で用いられます。
即戦力が求められ、レトルト食品なみの速成(即製)人間を作りたがるご時世。
心したい箴言〔しんげん〕ではあります。
ところが、この「大器晩成」は「大器免成」が本来の意義であったのです。
真に大いなる器(=人物)は完成しない、完成するようなものは真の大器ではないということです。
これこそ、老子の思想によく適うというものです。
( → 詳しくは、『老子』本文・解説にて後述。また、※髙根ブログ【儒灯】・《「大器晩成」と「大器免成」》をご覧ください。)
―― 『論語』の中に、孔子の「温故而知新」(故〔ふる/古〕きを温〔あたた/たず・ねて〕めて新しきを知れば、以て師となるべし)の名言があります。
“帛書老子”・“楚簡(竹簡)老子”の新発見による研究成果も踏まえながら、20世紀初頭、平成の現代(日本)の“光”をあてながら、「老子」と“対話”してまいりたいと思います。
故〔ふる〕くて新しい「老子」を活学してまいりたいと思います。
(石刻写真:省略)
〈 易県龍興観道徳経碑 〉 : 唐708年
cf.「天網は恢々〔かいかい〕、疏〔そ〕にして漏らさず。」(73章)
※不漏 → 不失
〈 黄老(老子)とは? 〉
「―― (老荘は) けばけばしい色彩はぬけてしまって、落ちついた、渋い味を持ってゐる。
世間の常識的な型を破って、しかもその破格の中に、いかなる常識人にも感得せられるあの大きな独自の型を創造してゐる。
その点世間の何人からも肯定される理性的 reasonable な洗練を特徴とする孔孟型と好い対象であって、しかも危なげのない本格的な点で両々共通なものがある。
孔孟の教へと同様、老子の説を *「人君南面の術」 とする漢志の説も妥当である。」
(安岡・『老荘』思想 p.15引用)
cf. 君子南面ス。リーダー・指導者のあるべき姿ほどの意でしょう。相学(家相など)にも応用。
〈 孔孟と老荘 〉
「しかしながら孔孟に老荘のあることは、丁度人家に山水のあるやうなもので、これに依って里人は如何に清新な生活の力を與へられることであらう。
自然に返れといふことは、浅薄に解してはとんでもないことになるが、正しく解することさへできれば、文化をその頽廃から救って、人間を自由と永遠とに導く真理である。
拘泥〔こうでい〕し易く頽廃しがちな悩みを持つ人間が、孔孟を貴びつつ、老荘にあこがれて来たのは無理のないことである。」
(安岡・『老荘』思想 pp.2-3 引用)
〈 正しい意味の形而上学 → 『中庸』 〉
「そういう意味で、われわれの人生、生活、現実というものに真剣に取り組むと、われわれの思想、感覚が非常に霊的になる。
普段ぼんやりして気のつかぬことが、容易に気がつく。
超現実的な直覚、これが正しい意味に於ける形而上学というものであります。
こういう叡知〔えいち/=英知〕が老子には輝いているのです。」
(安岡・『活学としての東洋思想』所収・「老子と現代」 p.92引用)
≪ 儒学&黄老 (カラー)イメージスケール ≫ by.たかね
■2010年9月26日 真儒協会 定例講習 老子[4] より
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